教育の発展に寄与し
正六位勲四等に叙せられた 永森文秀師
永森文秀師
寺尾にある師揮毫の万葉歌碑
永森文秀師は明治32年12月18日、頼成常称寺で生まれられました。 東京高等師範学校
養国語漢文科を卒業後、大分県立日田高等女学校(現日田高校)に赴任され、 以後静岡男
子師範学校(現静岡大学教育学部)、富山県立滑川高等女学校、旧制高岡中学、新湊女学
校(校長)などで教鞭を執られました。太平洋戦後の学制改革に当たり、出町中学、 出町高校の
創設に力を尽くされました。
出町中学の初代校長を務めたほか、津沢高校、清光女子高校などの校長を歴任されました。こ
の間、砺波市の教育長、公平委員会委員長や初代の中央公民館長などを務め、砺波市勢の進
展にも貢献されました。これらの大きな業績により、文部大臣表彰、 自治大臣表彰を受章されまし
た。
また、常称寺の住職を務めるかたわら、本願寺教導使として真宗の布教にあたり、その業績により
本願寺から二度にわたり表彰を受けられました。号を思水と称して詩文や書にも秀で、師の手になる
「妹が家に伊久里の森の藤の花 いま来む春も常かくし見ゆ」の万葉歌碑が寺尾温泉にあります。
「心に灯はともる」「今日の歩みのやすらぎ」「蓮如上人御一代記聞書のこころ」「憂えを超える道」
「先賢法話」「漢文典初歩」など、漢籍や仏道に関わる深い教養に裏打ちされた多くの著書がありま
す。昭和60年6月7日没。享年87歳でした。