善導常会 福井方面へ一泊旅行
善導常会恒例の農繁期の慰安を兼ねた一泊旅行が5月31日(土)〜6月1日(日)に行われた。
行き先は石川、福井方面 午後12時30分、西慶寺様前出発。
最初の訪問地(5月31日)
石川県 霊山信仰の聖地「白山ひめ神社」を参拝しました。
全国3千社にのぼる白山神社の総本宮。
ご祭神は、菊理媛尊(くくりひめのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと) の3柱
和合の神、 縁結びの神(菊理媛尊)として崇敬を受けている。(ホームページより抜粋)
手取湖(ダム)にも足を運びました。
手取川ダムは昭和49年に「治水」「都市用水の供給」「発電」を目的に
手取川総合開発事業の一環として工事に着手し、6年の歳月と約770億
円の予算を かけ、昭和55年に完成しました。高さ153m、総貯水量2
億3,100万m3。(有効貯水量 1億9,000万m3)ダム建設に伴う水没面積は
約510ha、補償戸数330戸にのぼった、日本でも最大級のロックフィルダムです。
手取川水系河川整備基本方針に基づいて、基準地点の鶴来観測所にお ける基本高水のピーク流量6,000m3/sを大日川ダムと合せて1,000m3/s調節し、計画高水流量を5,000m3/sにする役割をはたしています。
平成23年9月20日〜9月23日の台風15号による大雨では、昭和9年7月 11日の大洪水とほぼ同程度の洪水であったにもかかわらず、上流からの 洪水を全て貯留しました。
位置 | 石川県白山市女原 |
河川名 | 手取川水系手取川 |
型式 | 中央遮水壁型ロックフィルダム |
ダム天端標高 | EL 469.00m |
堤高 | 153.00m |
堤頂長 | 420.00m |
堤頂幅 | 12.00m |
堤堆積 | 10,050,000m3 |
計画洪水量 | 2,400m3/s |
宿泊地 白山市白峰
次の訪問地(6月1日)
福井県 平泉寺白山神社
由緒 |
元正天皇の養老元年(717)泰澄大師によって創建された。そもそも早くから白山登拝を志しておられた 大師は、この年白山へ登る途中で林泉を発見し、神託によってこの地が神明遊止の地である事を教えられ、 ここに神社を建てて奉斎されたのである。 その林泉は今も御手洗池(みたらし)と呼ばれて湧泉清く湛えて千古の影を宿している。やがて山嶽信仰が 盛んとなり、高い山へ登り六根を清浄にしようと人々が旅行する平安時代に入ると当地は白山登拝三馬場の 越前口として益々栄え、加賀の白山本宮・美濃の長滝寺と一緒に白山信仰の中心であった。 やがて源平合戦の折には木曽義仲が当社に藤島の七郷を寄進し、鎌倉時代に入るや、兄に追われた義経 主従が当社で一夜を宿して安宅関に向ったとか、建武中興には牛ヶ原の地頭を討って官軍に加わり、楠公 との縁故も深く、今も当社境内に楠公墓塔が建てられてその菩提を弔っている。足利時代には一乗谷の朝 倉の武力、当社の信仰・文化と互いに補い合って越前の重鎮となっていたが、悔しいかな天正時代に両者 共に戦乱の中に滅び、特に社領9万石48社36堂6千坊と誇った当社は灰燼に帰してしまった。幸い学頭賢聖 院顕海僧正の努力で天正11年白山社は再興。江戸時代には白山10里四方を支配し、朱印2百石越前松平 候よりは黒印百石、勝山小笠原候からも30石の寄進を受けるなど広く崇敬を受けていた。明治に入るや神 仏分離令によって平泉寺の寺号を廃止して白山神社となって今に至っている。なお旧玄成院庭園は、昭和 5年10月3日に国の名勝に指定された。(ホームページより抜粋) |
次の訪問地
福井県大野市
大野城 見学時間が限られていたり小高い山上にあるために 登城は無理。後で判ったことですが、若い?善導会員2名登城して いたのには驚かされた。 |